中根金作

静岡県遠州磐田生まれの中根金作(1917〜1995)は、旧制静岡県立浜松工業学校(現:県立浜松工業高校)図案科を卒業後、一時染色図案の仕事に就いたが、造園家を志して旧制東京高等造園学校(現:東京農業大学)造園学科に入学する。充実した勉学の日々を送っていたが、在学中に支那事変により応召され豊橋歩兵十八連隊に入隊。二年にわたる軍隊生活を経て召集解除により復学するが、すでに同期生は卒業しており、寂しい再度の学生生活は研究へ向かわせることとなる。卒業年の修学旅行の京都で名園や文化財を目のあたりに見学し、実物の古典の美しさに驚愕し、今まで言葉で聞く表現や印刷物の上でしか見られなかった認識がいかに空虚であるかを思い知らされ、涙を流す。学友たちが東京へ帰ったあとも、数日京都に滞在し、奈良にも足をのばして日本民族の優れた美意識と感性を心にしっかり収め、卒業をしたら京都で、名園を研究しようと決意する。卒業制作設計に注力の日々を送る残りの大学生活の中、戦時特令による繰り上げ卒業となる。大学校長にお願いをし、京都の植木職の紹介を頼み現場から修業を始める。戦争が激しく深刻さを増す中、軍事徴用が始まり徴用対策として恩師の計らいで京都大学農学部造園学教室の無給副手に任用され、週の半分は造園教室、半分は現場という日々を送る。戦前の京都府社寺課の専門官が病気で亡くなり、後任として推薦を受け京都府園芸技手に任用される。その翌年、遠州浜松出身の巧(いさお)と結婚するも結婚3か月で、静岡三四連隊に召集され三日後に中国戦線へ。終戦翌年、帰国。

戦後、社会教育課を経て文化財保護課の京都府技師記念物係長となり、史跡名勝天然記念物と美術工芸品を統括する行政事務責任者となる。戦前戦後に荒廃した古庭園の保存修理5か年計画をたて、文部省保存課に交渉し国庫補助金の交付を受けて保存修理を実施。天竜寺、金閣寺、銀閣寺、西芳寺、高台寺、清水成就院など、その後、多くの古庭園の根本修理を含む庭園修理設計監理、文化財指定調査に従事し、日本を代表とする数々の名園の文化財保護事業に携わる。京都府を退官後、49歳で中根庭園研究所を設立。大阪芸術大学長なども歴任し、生涯にわたり国内はもとより世界に300庭以上もの作品を残し、「昭和の小堀遠州」ともなぞらえられる。 造園家、庭園研究家。執筆、受賞も多数。

≪おもな代表作≫ 中根金作

 足立美術館庭園(島根県)、城南宮楽水苑(京都府)、大阪万国博覧会日本庭園(大阪府)、妙心寺退蔵院「余香苑」(京都)、ボストン美術館天心園(アメリカ)、ジミーカーター元大統領記念館日本庭園(アメリカ)、ジュロンタウン日本庭園(シンガポール)など

≪文化財保護事業≫ 中根金作

庭園根本修理・・・西芳寺(京都)、鹿苑寺(京都)、平等院(京都)、醍醐寺三宝院(京都)、栗林公園(香川)他

保存修理設計施工監理・・・天竜寺(京都)、南禅寺方丈(京都)、龍安寺(京都)、妙心寺退蔵院(京都)、金地院(京都)他

文化財指定調査・・・酬恩庵、無鄰菴、南禅寺方丈、曼殊院、円通寺、平安神宮神苑(京都)他

参考:中根金作『わが青春』1990年(『中根金作の軌跡』2020)

≪主な受賞≫ 中根金作

日本造園学会賞「日本庭園の保存と修理に関する調査研究」の業績(1969)、オーストリア国農林省銀賞・全オーストリア園芸協会金賞「ウィーン万国博覧会作品」(1974)、東京農大造園大賞「シンガポール・ジュロン日本庭園及び福井霞ヶ城公園他(1974)、公園緑地北村賞「古庭園の保存・内外公園・庭園の築造及び造園教育」(1982)、全国学士会アカデミア賞「日本庭園設計学の体系化及び内外技術者の養成と大学教育」(1982)、建設大臣賞(1989)、日本造園コンサルタント協会特別賞(1990)、大阪市文化功労部門大阪市民表彰(1991)、五位勲三等瑞宝章(1995)など。 

参考:中根金作『造園家中根金作 四十五年の歩み』他(1988)

中根金作 写真提供:中根庭園研究所

中根庭園研究所

1966年 ( 昭和41年 )初代所長の中根金作が、49歳の折に庭園研究所を設立したことに始まる。 故中根金作が日本の古庭園から学んだ造園哲学と作庭手法は、現在も2代目中根史郎、3代目となる中根行宏、直紀によって中根庭園研究所の業務の中に連綿と受け継がれている。 その実績は、中根庭園研究所を特徴づける古庭園の調査・保存修理や 伝統的日本庭園の設計・監理・施工業務のみならず、現代的課題である自然環境や自然景観の復元のための計画・設計にまで及び、海外においても10ヘクタール以上の大規模日本庭園から数十ヘクタールの規模の日本文化の特徴を色 濃く残した現代造園まで、数多くの実績を残している。 国内業務としては、公園緑地・都市景観に関する一般的な造園コンサルタント業務から、巨樹・古木等の樹勢回復や保全に関するコンサルティング等の樹木医業務、また、社寺庭園等の維持管理及び造園工事業務、それらに付随する文化財調査・測量及び一般測量などの業務も行っている。 地域のもつ個性に配慮した「まちづくり」、自然・歴史・伝統・文化の保全・ 再生など、その独自性を生かしつつ現代的課題にも順応し得る、現実の生活に合わせた環境の再整備・地域と自然の共生を第一義とした環境創造活動を目指している。現代の自然景観づくりにおいても、あくまで日本庭園の「用と美」の伝統を忘れることなく、日本庭園の伝統と文化と技法を、世界に認められる現代の標準の造園芸術作品へと高めて行くべく、日々精進を行っている。建設大臣賞等、受賞歴も多数。

参考:『造園家中根金作の軌跡』(2020)

中根史郎 

1950年中根金作の長男として生まれる。1975年学習院大学文学部哲学科を卒業後、中根庭園研究所に入社する。父金作に師事し、独学で資格取得。京都市立芸術大学美術学部非常勤講師、池坊文化学院非常勤講師。財団法人日本造園修景協会評議員、日本庭園協会評議員、日本庭園学会理事を歴任。1995年父・金作死去により中根庭園研究所代表取締役所長に就任。ニューヨーク・ブロンクス植物園名誉客員専門顧問、オレゴン大学造園学科客員教授。財団法人薮内燕庵評議員、東京農業大学客員教授、古儀茶道薮内流竹風会幹事。1級土木・造園施工管理技士、技術士、樹木医。上級造園修景士、ランドスケープアーキテクト。環境再生士、自然再生士。造園家として日本をはじめ世界で活躍。執筆、海外での講演依頼による講演、受賞多数。

                  参考:会誌『ACADEMIA』No170 平成30年度アカデミア賞(2019)、日本公園緑地協会第41回北村賞受賞理由(2019)より抜粋

≪主な作庭≫ 中根史郎

三千院「二十五菩薩慈眼の庭」(京都市)、池田城跡公園日本庭園(大阪府池田市)、神勝寺「賞心庭」(広島県福山市)、ムリアリゾート日本庭園「六境苑」(クリミア)、キエフ京都公園日本庭園(ウクライナ)、 Garten von Ehren 日本庭園(ドイツ)など

≪文化財保存修理≫

修学院離宮(京都)

中根史郎 提供:中根庭園研究所

≪主な受賞≫ 中根史郎

日本公園緑地協会第20回佐藤国際交流賞「多年にわたる公園緑地分野における国際的な交流を推進した多大な功績」(2012)、A Design Award金賞「Wareth Garden-Natural Landscape」イタリアミラノ(2017)、京都市表彰「京都市とキエフ市の姉妹都市交流に多大な尽力と国際交流による世界文化自由都市の実現に大きく寄与した功績」(2017)、日本学士会アカデミア賞・国際部門「日本庭園作庭の第一人者として世界各国における日本庭園の作庭及び日本庭園文化に関する我が国の伝統美及び伝統技術の伝承・普及に寄与した業績」(2019)、日本公園緑地協会第41回北村賞「公園緑地・都市景観の調査、計画、設計、管理の全国的な視点からの著しい業績と国際交流活動に貢献」(2019)

参考:会誌『ACADEMIA』No170 平成30年度アカデミア賞(2019)他